高校:放送部「近藤登美子先生との対話(ZOOM)」
2022.08.09
県女1期生の時代から本校で教鞭を執られた生物
科の近藤登美子先生をZOOMを利用して放送部が
取材しました。
近藤登美子先生は終戦直後の1945(昭和20)年
9月に本校前身の広島県立海田高等女学校に新卒
で着任し、1984(昭和59)年3月に海田高校で
定年退職をむかえるまで本校一筋で教鞭を執られました。
科の近藤登美子先生をZOOMを利用して放送部が
取材しました。
近藤登美子先生は終戦直後の1945(昭和20)年
9月に本校前身の広島県立海田高等女学校に新卒
で着任し、1984(昭和59)年3月に海田高校で
定年退職をむかえるまで本校一筋で教鞭を執られました。
インタビュアーの問いかけで、自己紹介から終戦直後の
学校の様子、印象に残る学校火災など、本校の思い出を
いろいろ語っていただきました。
放送部との対話に始終楽しそうなご様子だった近藤先生。
最後に現在の海田高校生に向けて
「やろうと思ったことに対して、一生懸命やることが大切」
とエールを贈られました。
学校の様子、印象に残る学校火災など、本校の思い出を
いろいろ語っていただきました。
放送部との対話に始終楽しそうなご様子だった近藤先生。
最後に現在の海田高校生に向けて
「やろうと思ったことに対して、一生懸命やることが大切」
とエールを贈られました。
集合写真 1946(昭和21)年 3月
県女1期卒業式( 最後列の右から2番目 )
県女1期生とは実質数ヶ月の関わりではありましたが、
当時の在校生にとって東京帰りの若い活発な女先生は
お姉さんのような存在でした。
県女1期卒業式( 最後列の右から2番目 )
県女1期生とは実質数ヶ月の関わりではありましたが、
当時の在校生にとって東京帰りの若い活発な女先生は
お姉さんのような存在でした。
左側 1962(昭和37)年 高校13期卒業アルバムより
中央 1984(昭和59)年 体育館兼講堂落成式の日
右側 2021(令和03)年3月ご自宅にて
学校は県女から海田高校へ。近藤先生は海田高校の歴史
を愛情をもって見守ってこられました。
退職後も海田高校と同窓会の為にご尽力を賜り
今年末には白寿99歳のお誕生日を迎えられます。
放送部/ 中継・撮影・編集・インタビュー
会 場/ 同窓会会館 会議室
関係者の皆さま大変ありがとうございました。
中央 1984(昭和59)年 体育館兼講堂落成式の日
右側 2021(令和03)年3月ご自宅にて
学校は県女から海田高校へ。近藤先生は海田高校の歴史
を愛情をもって見守ってこられました。
退職後も海田高校と同窓会の為にご尽力を賜り
今年末には白寿99歳のお誕生日を迎えられます。
放送部/ 中継・撮影・編集・インタビュー
会 場/ 同窓会会館 会議室
関係者の皆さま大変ありがとうございました。