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高校:放送部「県女2期生 県女の思い出」

2023.03.04
高校・放送部の招きで海田高校の前身である広島県立海田高等女学校の2期生・菅田美子さんが来校され、在校当時の思い出を話されました。
週に2日ご自宅近くのコンビニにお勤めの菅田さん。放送部インタビュアーの質問に溌剌とお答えになられていました。今年の6月で93歳を迎えられます。
厳しい指導で有名な薙刀・修練の竹内先生は、坂町小屋浦での水泳訓練も大変厳しく指導された。白衣がトレードマークだった生物の近藤先生は、「蛙の解剖」が記憶に残る。遠足、炭材伐採に畑賀の日野浦山に木を切りに行った。
体育の授業後は校舎裏の井戸へ競争で走り、井戸水で喉を潤した。「その水は夏は冷たく、冬は温かで美味しいかった。生徒にとって「命の水」でした」と語られた。現在、井戸があった場所には広島県立海田高等女学校の在りし日を記念して「発祥の泉」の碑が立っている。
昭和19年から学徒動員が開始され、秋から県女1期生は東洋工業(現:MAZDA)に動員された。県女2期生も続いて動員され、担当はミーリング(切削加工)機械の操作、お国のために懸命に働いた。【写真】引率者は図工の山田敏雄先生。最前列右から2番目が菅田さん。
昭和20年、県女1期生と2期生は動員先で原爆を体験した。同年9月には大型の「枕崎台風」が襲来。瀬野川流域周辺も甚大な被害に遭い、中野からの通学に利用していた鉄道は寸断された。再び登校した時、校舎内には広島市内の広島県立第二中学校(広島二中)の分教場が設けられていた。

放送部/ 撮影・編集・インタビュー  
会 場/ 同窓会会館 大会議室